混成競技を愛する皆様へ.
日本陸上競技連盟混成競技ディレクターの眞鍋芳明です.
「ディレクター」とは?
「ディレクター」って何? と思われる方も多いかと思いますが,いわゆる混成競技の強化部長という立場にあります.
2021年に前任者の松田克彦先生(シュツットガルト世界選手権日本代表)の後を引き継ぐ形で就任しました.出身は筑波大学(同大学院修了)で,現日本陸連会長であり,これまた元デカスリートだった尾縣貢先生の研究室出身です.現在は中京大学陸上競技部の監督と,混成ブロックのコーチを務めています.
さて,今回は初投稿となりますが,先日終了しました第108回日本選手権混成について,ディレクターとして総括をさせて頂こうということになりました.つたないレポートですが,お付き合い願います.
第108回日本選手権混成,十種競技は丸山優真選手(住友電工),七種競技は熱田心選手(岡山陸協)が優勝しました.
詳細なレポートは我らが児玉さん(JAAAFメディアチーム)のレポートをご覧ください.
ここからは私見で失礼します.
まず十種競技から.
男子十種競技についての総括
前年度にブダペスト世界陸上出場を果たし,今年度のパリ五輪を目指していた丸山選手.エストニアへの武者修行など順調に冬季練習を積み,文字通りパワーアップした状態でシーズンを迎えました.パリ五輪までの目論見として4月のイタリア,5月のスペインでAカテゴリーの試合をこなし,そこでワールドランキングを上げて6月の日本選手権を迎える予定でした.しかし,イタリアでの試合中,棒高跳びのアクシデントにより左膝を故障します.正直,この時点でパリ五輪出場は極めて難しくなります(詳細は強化方針のコメントをご覧下さい).手術までにはいたりませんでしたが,外側側副靱帯損傷・半月板損傷・亀裂骨折・骨挫傷という重傷で長いリハビリを強いられます.しかし,日本選手権直前になってドクターからの了承をもらい,なんとか出場にこぎ着けました.過去,こうした状況で出場しても,やはり途中で棄権するというパターンが多かったため,我々も非常に不安でした.
しかし,そんな不安を押しのけ,鬼門だった跳躍種目をなんとか乗り切り,棒高跳びでは自己新記録の4m80をクリア,やり投げも自己新記録の64m65という記録で,蓋を開けてみれば日本歴代6位となる自己新記録の7870点での優勝.
正直な感想として「一皮むけたな」です.日本十種競技界のエースとして,まだまだ日本を牽引していかなければならない存在.そのポテンシャルは誰しもが認める存在ではあるが,右代啓祐や中村明彦と比べるとまだまだ...という意見が多かったのは事実ですし,本人もそれを自覚しています.
けれども,昨年度はアジア選手権を制覇,ブダペスト世界陸上でも国際試合における日本人歴代最高記録(当然自己新記録)を出すなど,ある意味では右代・中村を超える部分も見せてくれています.あとは記録だけ.今シーズン中に8000点を超え,アジアランキングトップでアジア選手権を二連覇し,東京世界陸上の場に立ってくれることを確信しています.
さて,丸山選手以外に目を向けます.まずは奥田啓祐選手(ウィザス). 1年半ぶりに戻ってきました.昨年度に拠点を変えて文字通りの再スタート.前日のアップ時,スプリントを見る限り持ち味だった爆発的なパワーを感じさせる....ことは無く,今までにないす〜っとした走り.らしくないなぁ...まだケガの影響かな? と思いつつ,コッソリ区間タイムを計測すると,2年前のアジア室内の時とほぼ同じタイム.これはあるなと密かに期待しつつ初日の100m.見事に10秒65のトップで完全復活を見せてくれました.が,,,,彼の場合は最初良くても途中で躓き,そこから挽回できずに「あ〜あ」で終わってしまうことは珍しくありません.まだまだ気を引き締めるよとアドバイスしながら次の種目に.
と思っていたら,やっぱりやりました.走高跳でなんと1m70という,自己ワーストどころか,おそらくこれまで経験したことがない記録に終わります.けれども,奥田も成長を見せます.数年前ならこれで意気消沈し,400mもやぶれかぶれで前半からつっこんで後半たれる.しょんぼりしながら初日の帰路につくという流れでしたが,今回は違いました.見事に48秒22という記録で種目別優勝.丸山に引き続きコレまでとは違うぞ.という成長した姿を見せてくれました.結果,総合は7717点での2位.この試合後にケガが悪化していなければ,再度の8000点が期待できるパフォーマンスを見せてくれたことに我々も安堵しました.
過去,何度か日本混成競技界が急激に成長した時(日本記録が更新された時)があります.十種競技は金子・松田時代,右代・中村時代.七種競技は中田・佐藤時代,そして現在の山崎・ヘンプヒル時代がそれにあたります(もちろん,その前の世代も同様なことがあったと思いますが,すいません.眞鍋が覚えている範囲です.).やはりライバルがあってこそ,お互いが切磋琢磨をして記録は向上します.丸山一強時代ではなく,丸山・奥田時代で,お互いに8308点を越えていって欲しいものです.
その他の選手達をみても,今年の日本選手権は善戦した選手が多いように感じます.3位の森口諒也選手(オリコ)も自己新記録,4位の右代啓欣選手(エントリー.日本記録保持者である右代啓祐選手の弟)も7450点の自己新記録.5位の前川斉幸選手(愛知陸協名古屋支部)も7385点の自己新記録と,日本選手権という国内最重要競技会で自己新記録を出すという「強くなるために必須の条件」をクリアしてくれている姿に,今後の明るい未来が見えてきたなという印象です.
あと個人的に印象深かったのが右代啓欣選手の1500mです.もともと彼は大柄な身体ながらも4分29秒という素晴らしい記録を持っています.しかし,昔からメンタル面が弱く,勝負弱いという印象があります.正直,大学2年生くらいの時期が一番自信をもって競技いをしていたのかなと.兄が偉大すぎると,どうしても「右代の弟」というレッテルを貼られてしまい,隠れたくないのに兄の影に隠れていると思われてしまう.そうした辛い時期を過ごしていたと思います.なので,1500m前も「ここまで啓欣はよくやったが,1500mは4分40秒程度だろう」とだれもが思っていたかと(実際に他の選手達も啓欣はノーマークでした).ところが,前半から中盤で前にとびだすと,そのまま誰にも譲らずトップでゴール.本人も予想だにしなかった1500mの種目別優勝をかっさらっての自己新記録でした.これにも久しぶりに胸が熱くなりましたね.
次に女子七種競技です.
女子七種競技についての総括
こちらはついに来たかと.熱田心選手(岡山陸協).彼女は紆余曲折あって,現在は岡山拠点でトレーニングを積んでいます.走幅跳でも強化指定競技者になるほど,抜群の跳躍パフォーマンスを持っているのですが,近年ではスピードに磨きがかかり,さらに投擲まで強化され,どちらかというとバランス型の競技者になりつつあります.年齢もまだ23歳ということもあり,山崎・ヘンプヒル・大玉の3強を見事に崩しての戴冠でした.正直,800m前までは5700点には届かないなと思っていました.なぜなら彼女にとって唯一といって良いほど苦手種目(2分25秒台)であるからです.しかし,今回は攻めの走りを見せて,なんと2分18秒台の記録でゴール.文字通りオールマイティーな活躍をみせてくれました.七種競技者はどれか一つでも苦手種目があると優勝は難しいです.これを克服して大玉選手の記録を超える日本歴代5位となる5750点を獲得した熱田選手.今後の七種競技界は4強時代となり,だれが優勝してもおかしくない時がやってきました.
大玉選手が台頭するまでの2強であった山崎有紀選手(スズキAC)とヘンプヒル恵選手(アトレ).山崎選手はシーズン緒戦の中京大土曜競技会で,ほぼ調整なしのまま臨み,そこで5600点を超えるパフォーマンスを記録しています.ケガやトレーニング内容には問題がないと思われますが,いざ試合となると何かがかみ合わないまま終わってしまった.そんな印象を受けます.すでにベテランの域にはいっている山崎選手,今年の日本選手権は何かしらの分水嶺になるかもしれません.
今回2位となったヘンプヒル選手.度重なるケガに見舞われつつも,2年ぶりに日本選手権に戻ってきました.しかし,山崎選手と同様にかみ合わない何かを感じながらの競技に.パフォーマンスをみると何かが悪いというよりも,全体的に調子があがっていない印象です.ケガからの復帰ということもあって,十分なトレーニングを積むことができていなかったことを考えると,本来の調子を取り戻すには,もう少し時間がかかるのかもしれません.本人は8月末に海外での試合に出場予定で,そこでさらに上のパフォーマンスを見せたいと言っていました.今後に期待します.
そして昨年度あたりから3強の一角にのし上がってきた大玉華鈴(日体大SMG)選手.特に昨年のグランプリでは初日日本最高記録となる3505点を記録し,シニア初代表を経験するなど,大きく成長しました.しかしながら,この冬期に初めて肉離れを経験し,シーズン入りが遅れたしまったことが悔やまれます.精神的には間違いなく成長しているので,あとは入念にトレーニングを積み直し,持ち前の明るさとパフォーマンスを取り戻してくれると思います.
また,七種競技では今シーズン好調だった萩原このか選手(デカキッズAC)が自己新記録で4位に入賞しています.萩原選手も息が長い選手で,高校時代から日本のトップクラスで活躍しています.近年では,身体の使い方を見直すことで低下していたパフォーマンスを取り戻し,見事自己新記録を更新しました.東京学芸大学女子混成チームのコーチもしているとのことで,インプットとアウトプットをうまく使い分けることで成長していると思います.最近東京学芸大学の七種競技が強いのも,彼女の影響は少なからずあるはずです.
U20日本選手権、スーパールーキーの登場
また,今回はU20日本選手権も盛り上がりました.
スーパールーキーの高橋諒選手(慶応大)は,U20世界選手権を視野にいれつつの出場.文字通り圧倒的な力を見せ,なんと二日目は1500mを除く4種目で自己新記録を出してU20日本歴代2位となる7445点での戴冠.これは今季のU20アジア最高,世界でも11位にリストされる好記録です.特に二日目は荒天のなかでの記録ということを考えると,U20世界選手権での入賞も見えているのかもしれません.彼は今シーズン十種競技を始めてから国士舘大学競技会,東京選手権,関東インカレ,U20日本選手権と全ての試合で目標を達成し,ある意味で挫折を知りません(高校3年次はケガでインターハイでていませんが).現在は「大学にきてもライバルがいない」という状態ですが, U20世界選手権で世界の猛者たちと戦うことで視野を海外に向けてもらい,ポスト丸山を担ってくれる存在になって欲しいと願っています.
最期に競技運営についてです.
競技運営の新しい取り組み
今回は新しい取り組みがいくつかありました.その一つがタイムテーブルの圧縮です.これまでのタイムテーブルと比較すると,開始時間は遅く,終了時間が早くなっています.正直,最初にみた選手達も「え〜,時間が詰まりすぎじゃね?」と思ったでしょうし,そういう話は伺っています.
しかし,それをあえて実行したのは「ヨーロッパで開催される混成競技のスケジュールを参考にした」ことが理由です.事実,今年のHypomeetingやMultistarsは競技開始から最終種目開始まで,十種では初日が6.5から7時間,二日目が8時間,七種では初日が6時間,二日目が5.5時間程度となっています.
タイトなスケジュールにすることのメリット,デメリットはありますが,世界基準ではこうした流れになっていること,世界を目指すのであればタイトなスケジュールを乗り切るメンタルとフィジカルを持って欲しいという思いがあってのことです.実際にそれでも高いレベルでの自己記録が出ているわけですから,選手達はそれほどヤワではないと安心しました.
二つ目の新しい取り組みは,七種競技における800mの一斉オープンスタートです.国内ビッグゲームでは初の取り組みかと思いますが(関東インカレでは実施されたことがある),こちらもヨーロッパでは主流になりつつあります.組数を少なくできること,選手の駆け引きが楽しめることなどがメリットとなります.逆に開始前は選手やコーチから「接触があってキケンでは?」とのご意見も頂きましたが,こちらもやはり世界を目指すという観点からすれば,ぜひ取り組んで欲しいと思い推し進めました.そしてこちらも結果をみれば,800mで自己記録が連発,なんと7名もの選手が2分20秒を切り,20秒で2名の選手がゴールをするという,非常にハイスピードなレース展開になりました.これは,スタートから前にでないとペースを作れない,一度前にでてしまうとなかなか後ろには下がれないといった特性が影響したのではないかと思います.こちらも結果としては採用してよかったなと感じました.
三つ目は,1ピットで実施される投擲競技の場合は,その種目の持ち記録が高い順番に試技を行うことです.一般的にはランダム,もしくは持ち記録が低い選手が先ということが多かったと思います.しかし,持ち記録が高い選手が一投目から良い記録をだすことで全体にインパクを与える,良い流れを作れるのではないかと思い設定しました.また,レベルが高い選手ほど,投擲を先に終えて休めるというメリットもあります.こちらもトップの選手達には比較的好評だったので,今後も採用していきたいと思います.
そして,最期はアスリートコラボレーターの採用です.現役競技を引退した選手をひっぱりだして,競技会の運営や周知に力を貸してもらうという制度です.これに昨年度引退した中村明彦選手(スズキAC)を抜擢し,色々な面で活躍してもらいました.特に競技中は場内アナウンスと表彰インタビューを担当してもらい,競技者の観点から競技を説明してもらったり,かつての仲間に対して,仲間だからこそできるインタビューをしてもらうなど,大いに活躍してもらいました.観客はもちろん,選手達も楽しんでもらえたのではないかなと思います.
以上,長文となってしまいましたが,日本選手権の総評でした.次年度も引き続き岐阜にて開催されます.是非とも応援よろしくお願いいたします.
日本陸上競技連盟混成競技ディレクター 眞鍋芳明